朝から6年生Vの試合を見てアズエルに移動。
無得点試合が続いてて、
「あんまり良くないんだよね〜」
って言ってた瀬戸口さん。
ソレッソ鹿児島の試合の審判しながら中で見てたが、ちょっと元気のなさがあるだけで、はじめて見た感想は、
チームとして個のバランスがいいし、前進してるのは確かなんじゃないかと思った。
前進していく中で、プレーが意図的か?無意図的なのか?は重要だと思ってて、
それは、ずっと見てると時々ぼやけて見える時もあるんだが、
瀬戸口さんにはそうだったんじゃないのかな??
ぼやけて見えるのはきっと結果が出てないだけであって、
はじめて見た俺にとっては、少なくとも瀬戸口さんがしっかり積み上げようとしてて、子ども達には試行錯誤が見えた。
瀬戸口さんと終わって話もしたが、勝負事なんで結果がつきまとうし、
そこから目を背けたらいけないと思ってる中で、結果に囚われると
浮き沈みのバロメーターが勝ちか負けかだけになってしまう。
ある意味プレッシャーみたいなもんを背負いながらチームの成長と個の成長を考えた時、
勝負だけに縛られていては、拘りが薄れてしまいがちだ。
そこ難しい。
子ども達に前進してるって確信を持たせるには結果も必要だし、
とりあえず勝ったを繰り返しても子ども達は満足するかもしれないが、
成長させるっていう命題に、指導者としては引け目を感じてしまうし。
拘りの中で勝つを繰り返す事ができたら良いんだが、簡単にはいかない。
けど、拘ってやりながらじゃないと、沈んでる時を肯定できたり、上がるきっかけも掴めない気がして。
今日見た試合の勝ちがきっかけになってくれるといいな。
瀬戸口さん、頑張ってください!!
アズエルを後にして、6年生の試合を数試合見させてもらったが、その感想は別の日にでも書こう。
せっかく、結果とのしがらみについて書きはじめたんで、それ関連でもう1つ。
うちの子達は、日々競争の中での日常を過ごしている。
今日の6年生の試合もV・Fに分かれてるし、5年生もそう。5年生に関しては、今日JCカップのメンバーも発表した。
子ども達にとって、チーム分けは結果みたいなもので、
子ども達もまた、結果を出さねばのしがらみの中にいるように思う。
ここで危惧されるのは、結果を出そうに固執しすぎると、
自分が見えなくなる事とゴール設定を誤る事だろう。
結果はやっぱり求めるべきだと強く思うが、それだけだとバロメーターは狂ってしまい、
上のチームにいるからオッケー。落とされたからダメだになって、
成長してるが自分の中で見えづらくなってしまう。
勝ちか負けかだけの価値観で日々を過ごすのはすごくしんどい。
逃げ場ではないが、どんな時も肯定できる何かはそれぞれが持っていなければいけないように思う。
指導者としては、やっぱり結果を求めて欲しいし、貪欲であって欲しいと思うし、
チームを勝たせるという役割もあるから、上を目指せの物言いになってしまいがちだが(そうじゃないと勝負を否定するという矛盾が出てくるから)
現時点での結果を示す(チーム分けをする)中で、意外と個々人に対しては冷静な目を持っていたりする。
現時点での力はこうだ!なんだが、
あの子はもっと先に良くなるんじゃない?
逆に、
後々壁にぶつかるかもな
みたいな。。。
まぁ、そんな事も直接言ったり間接的に言ったりもするんだが、
基本的には競争を促したいんで、あんまり言わない。
そこで重要になるのが、親の視点だと思う。
ちょうど為末さんが最近のnoteに書かれてたのに共感したんで、一部抜粋しとこう。
私の母は期待をしなかった。たまたま足が速くて始まった冒険だから、もし全部無くなったら、また家に戻ればいいかと思えた。そう思わされる事で、私の好奇心は冒険心は守られていたように思う。
少年の冒険は25年も続いた。最後までそれが冒険でいられたのは、どこに行くのかも、どこまで行くのかも期待せず、待っていた母がいたからのように思われる。
全文は、
https://note.com/daitamesue/n/n66849fb589b4
肯定できる何かを持つためには、自分と向き合う時間が必要で、
そんな時間は一番心が穏やかになれる時だと思う。
その時間は、家庭なのかな。
結果が出たら
「頑張ったじゃん」
結果ぎ出なかったら
「次頑張ろうね」
くらいのスタンスがピッチ内(クラブの中で自分)とピッチ外(家庭の中での自分)のバランスが取れていいと思う。
あくまで俺の見解にすぎないんだが。正解かどうかも分からないが。。。
誰一人冷静になれずにいると、結果だけに囚われるという抜けづらい罠にハマりっぱなしになると思う。
そうならないために、俺自身も余裕を蓄えておきたい。