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徒然草と言えば、吉田兼好。またの名を兼行法師。
日本三代随筆は、徒然草(吉田兼行)、枕草子(清少納言)、方丈記(鴨長明)。
はい、文学史のお勉強。ためになったかな。
徒然草の一節にこんなものがある。
「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり」
勝とうとして打ってはいけない。負けないように打つべきだ。
サッカーにおいて勝つサッカーから想起されるのは、攻撃的でスペクタクルなもの。
負けないサッカーから想起されるのは、イタリアのカテナチオに代表されるような守備的なもの。
勝手なイメージだし、どちらが良いかなんて、どうこう言うつもりはないが、
勝ち負けがある勝負において、心の在り方はどうあるべきかは、考えさせられるものがある。
勝ちを目指すと言えばちょっと格好良く聞こえ、
負けないように頑張ると言えば、ちょっと心もとない。
でも、負けないための失点0が、一番勝負において重要な要素だったりする。
言葉の聞こえ方、捉え方は面白い。
負けず嫌いって言葉がある。
でも、勝ち好きとは言わない。
徒然草の一節に思う事は、
勝負の世界では、キラキラ見えたりポジティブだったりする「勝ち」に連想されるイメージより、
実は、絶対に負けたくないみたいなドッシリ感のある心の底にある意地みたいなもんが大事じゃないかという事だ。
それは、ハードワークしたり、球際の攻防だったり、ゴール前で身体を投げ出して止めたり
そんな泥草さとしてプレーに現れると思う。
大の負けず嫌いだった大起。
勝ち続けるシンデレラストーリーじゃなく、紆余曲折の中で、
どんな時も負けない自分であり続ける事ができたから今勝負の世界で生きていけてるんだろう。
勝つ事に執着し過ぎると、負けた時の反動はデカイ。
でも、負けないを続けていれば、勝ちをいつか引き寄せれる。
ゲームに負けても、メンバーに選ばれなくても、心だけはいつも負けないように。
徒然草の一節に負けない事の強さを思った。
ヒデ君、負けないで。オヤツの誘惑に。。。
と、ここまで書いて明日ポチっと押せばブログ更新だと準備してたんだが、、、
すでに出発した後だったんで、8時前に会場到着。
さて、これから試合開始まで4時間待ちぼうけ。
おじさんなんで早起きしても目がバッチリ冴えてて、寝るにも寝れない。
明日の分でも下書きしとこっかな。
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