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昨日の練習は、翠富士ばりの肩透かしで雨が降らずに練習できた。
あっ、失礼。
翠富士って、三賞受賞した翌場所に怪我して、十両陥落して昨日十両で負け越し決まった力士ね。
大相撲ファンで翠富士の肩透かしを知らない人はいない。
それくらいの肩透かしだったな。
彼の得意な形は右四つがっぷり。
あっ、それ英乃海関だった。
さて、、、
昨日嬉しいコメントがLINEに届いた。
俺もだが、ソレッソもかなりお世話になってる人で、何度も個人的に相談に乗ってもらってる。
いつも、スッキリ頭の中を整理させてもらえるし、何より知らない世界を見るみたいな感覚で話してて面白い。
そんな尊敬する方からのLINE。
昨日のブログをよりまとめてもらえてるって感じで、
送られてきたLINEをそのまま見せたい。
という事で、以下。
おはようございます!
今日のブログ、読みました。
凄く共感です。
(良い悪いも含めて)習慣という名の、ある意味「強制的」なものを受け入れた先の言葉と行動にのみ「説得力」あると思います。
「自分のやりたくないこと」「自分で勝手に出来ないと考えてしまっていること」等を「押しつけだ、強制だ」「自主性が無くなる」「個性が無くなる」という「世論に流される自分の意見と個性のない大人」の「インフルエンサー勘違いヤロウ」に惑わされないようにするのが「青少年育成」の第一歩だと強く再認識しました。
子ども達は「基本」「ベース」というものは元々持ち得てないから「基本を持ち得ているであろう大人」が教育をしていくことによってのみ「基本」「ベース」「モラル」、そしてその先の「生きる目標(生きる力)」の醸成の基礎がなされるものと考えます。
もちろん、私も間違いだらけで後悔することも多々あり、聖人君子のような大人は稀にしかいないので間違っていることも多々あるでしょうが、大人は「間違っていない」「正しい」と今までに悩んだりしながら「現時点で出した答え」を「信じて」、子ども達に接していく必要があると思います。
そして「大人が信じている」からこそ、合っていることは「教師」、合っていないことは「半面教師」として子ども達に受け入れられ、将来的には子どもたち自身の道しるべの一助となり「個性」と「自己肯定力」が生まれるのではないかと50歳手前になって次第に確信的なものとなってきています。
そのためにも「合っている」「合っていない」という判断が出来るようになるために「基本」「ベース」「モラル」を身に付ける事が最も大切だと思います。
また、「自己満足」を超えた「自己肯定力」は究極の「鈍感力」に繋がっていくのではないかと。
その「鈍感力」は私が最も欲しい力でもあったりもします。
な~んて朝思って、乱文、長文を連打してしまいました次第です(笑)
50代を目前に、限界を超えながらも「出来るだけ肥えない」ように(笑)、もう少しだけ頑張っていきますので、引き続き宜しくお願い致しますm(_ _)m
ねっ、頭のなか整理された感じでスッキリするでしょ。
俺ら指導者は、サッカーを教えるのもそうだけど、俺が思ってるのは、
サッカーを通してどんな気づきを子ども達に与えていけるか?で、
そのためのアンテナは張っておかないといけないという事。
物の見方は多様で、見方・捉え方を変える事ができる柔軟性を子ども達には持ち合わせて欲しいと思ってる。
それは、自身の教訓で、
教科書通りに進んできた自分への戒めでもあるんだが。。。
サッカーを通した縁で、色んな人との出会いがあり、今なお色んな事を勉強させてもらってる。
大切にしないとな。
いつも気づきを与えて下さりありがとうございます!!
これからも、色んな事を吸収できるようにアンテナ張って生活していこう。
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