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目標設定をする事は、よく山登りに例えられる。
山頂が目標で、中腹あたりに中間目標があって、その他点在するベースキャンプ。
どのルートを攻めるかの戦略があって、待ち合わせるべき道具を準備してその他諸々なんだろうが、そうやって山頂への山登りが始まる。
そもそも山登りをしない(嫌い)俺がそんな話しすんなよなんだが、
山登りに例える考え方は好きだったりする。
山登りしたらもっと頭の中がクリアになるのかな??
いや、やめとこう。。。
今日は、そんな山登り論をちょっと別の角度から考えてみたい。
山にも色んな山があると思うが、頂上が高ければ高いほど過酷だ。
高ければ高いほど、一人で登る事は苦しいし、孤独であるし、一人で登れない山だってある(と思う)。
そんな時に必要なのが仲間の存在。
見えない景色を眺めながら頂上を一人で目指すとなると、
そのルートが合ってるかどうかさえ分からない事もあるだろう。
このルートで合ってんのか??
孤独になると、溢れてくるのは不安で、不安になると足取りは当然重くなるし、適切な判断をできない事だってあると思う。
そこにもし、一人でも二人でも同じ志しを持った仲間がいたらどうだろう。
足取りはきっとより力強いものになる。
高校の時、すごく孤独を感じていた経験がある。
真剣にサッカーをやりたい。でも、周りはサッカーで学校に来てる訳じゃないからあんまり熱はない。
かと言って、勉強頑張ってるのか?といえばそうでもない(もちろん数人はいた)。。。
中途半端なお前らに勉強も絶対負けない!!
そんな心の声はきっと伝わってたはずで、けっこう孤独だった。
大学の時はそれとは真逆。
明確な目標がそこにはあって、孤独に走ってた高校時代とは全く違う環境と仲間の存在があった。
高い所を目指す上で、仲間の存在が、
自分の力をより引き出してくれるし、組織の力になるってのを感じたところだ。
有難い事に、最近色んな話をいただけるようになった。
それも、同じ釜の飯を食って、一緒に目標に向かって突っ走ってた大学の時の仲間から。
なんでそんな話しが来るのか?
それは、ソレッソの中の俺があるからで、
そんな組織でやってるお前だったらみたいなところがあるんだろう。
大きな括りの中での目標を共有できる存在に、ソレッソがなり得てるのかなと思う。
信頼できる仲間として。
ソレッソもグループとして大きくなり、仲間が増えた。
仲間が増えた時のリスクは、温度差が出る事で、
その温度差が出ないように、熊本は宮崎・鹿児島には負けねぇ〜、宮崎は熊本・鹿児島に、鹿児島は、熊本・宮崎にってなってると思う。
登り方は違えど、頂上を共有して一緒に登ってる仲間って感じかな。
仲間の存在は貴重だ。
まだまだ山登りの途中。
この前、話した大学の後輩が言ってた。
みんなで頑張って楽しくやりながら成長できればいいじゃないですかって。
山登りの途中で一緒に登りたいって仲間もこれからさらに増えるかもしれない。
一緒に頂上目指せるならそれは大きな力になるだろうし、そんな志し高い仲間と頂上を目指したいと思う。
道に迷ったら、山を極めてるお猿さんに聞いてみよう。
このお猿さんはきっと嘘を教えると思うけどね。。。
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