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ジュニア年代の指導をしてると、言葉の壁にぶつかる事が良くある。
この前もミーティングで、◯◯とさらっと言ったんだが、
すぐに、(いかんいかん)「えっ〜と、◯◯って事ね」と言い直した。
スイッチが入ると、勝手に浮かんできた事を次々喋る病が出てしまうもんで、
まとめる能力が低い俺は、子ども達にとっては分かりにくい人の部類に入るのかなぁと思いながら、
そんな事を頭の中でグルグル回し始めると、
分かりやすいって何だ?を考えはじめる。
分かりやすい=伝えるべき人がしっかり吸収できる
とするなら、それは目線を合わせるが一番適当になり、
目線を合わせるには、当然、言葉も考え方もシンプルかつ、易しくならないといけない。(指導者と子ども達の関係性においてはね)
でも、、、
この分かりやすさだけを先頭にしておくと、それはそれで大きな罠があるなと思うのが、本当のところで、
選ぶ言葉だったり、あれがこうなるからこうで、だからこうなんだみたいな少しまわりくどい言い方も
考える力みたいなものをつけるには必要なのかなと思う。
単純に、会話らや伝えるの中で重要なのは単語であって、
単語を多く知る事で、物事を理解するための解像度が上がったり、抽象化できる力は育っていくと思う。
積極的に難しいを良しとはしないが、それこそレベルに合ったちょっとした難しさは必要なんだろう。
それは、子ども達にとっては「分かりにくい」の部類に入ってしまうんだろうけど、
分かりやすい=伝えるべき人がしっかり吸収できる
の「しっかり」を
単純に受け取るというだけのシンプルな事から、
考える力を持って自己解釈の元
みたいな感じで捉え方を変えると、
分かりやすいは、自己成長のために必要なものかどうか?
のように、無理矢理なんだが意味変ができる。
分かりやすいって何なんだろう??
こう、思った事をツラツラ書き並べて、改めて今書いた文を読み直したが、
おそらく、俺はやっぱり分かりにくいやつなんだなって思う(笑)
ただ、、、
ちょっと頭を使うけど、あれとこれが繋がるのか!みたいな頭を使う経験も必要で、そこの楽しさは身につけて欲しいと思うところだ。
自分で考える事
が求められる時代になってきてる中で、シンプルに分かりやすいものばかりを求めていては、
分かりにくいに拒否反応を起こし、分かったつもりが癖になるような気がする。
難しいと思う事は、面倒くささとセットになるんだが、
面倒くさいじゃなくて、それが好奇心になるように
分かりやすいが、ただただシンプルにならないような分かりやすいを求めないとな。
結果、、、
分かりにくい(笑)
出産祝いお待ちしてます(笑)
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