人は、安心する情報と不安になる情報があると、不安になる情報に注意が向いてしまう傾向がある。
これは、人類が生き抜く環境を得るためには、不安な状況をいち早く察知した方が生き抜く確率が高かったからだそうだ。
例えば、茂みの中でカサカサと音がたった。
わぁ〜い、何か音が聞こえる。行ってみよう!!
よりは、音が聞こえる。怪しいぞ。いち早く逃げなければ
の選択をした方が生き抜く確率は高い。
そんなマインドの選択を繰り返してきた人類の歴史が現代人のマインドに残っている。
言われてみればそうで、
報道で聞かされるのは、不安を煽るような情報が圧倒的に多いし、
不安をキャッチする事で逆に安心するというような事も多々ある。
無制限に流れてくる情報の中で、情報を取捨選択する力を身につける。
大事だと分かっていても、
スマートフォン片手にが当たり前の時代。
興味を引くようなテーマが目に入れば、ついつい見てしまうのは、
取捨選択する力よりも、情報を元に適切な判断をしなさいという警笛か。
そう思って、知識を蓄え、自分なりの考え方を持っていなければと思うところだ。
そうしないと、情報に流されてしまい、不安に着目してしまうが故に幸福感は逃げてしまうんだろう。
不安と幸福は相反する関係。
コロナ禍の今、
「適切に恐れましょう」は正しくて、適切に恐れるには、不安な情報をキャッチする必要もある。
問題は、恐れる範囲を自分自身でコントロールして、
不安と幸福のラインをコントロールしていく事なのかな。。。
情報が多い事で得られるメリットも大きいし、情報をキャッチすればするほど、
知識は増えた気になる。
でも、情報をキャッチする事で生じるデメリットの側面も感じながら、リテラシーを身につけれなければいけない。
明日から開幕するJリーグ。
毎年、どこが優勝するか楽しみにしながら、記事で専門家達の優勝予想を見るんだが、
俺の中の勝手な予想は、不安要素がないとこに絞られてる気がする。
こんなんにも性格が出てくる。
自分の考え方の癖を探るのもなかなか面白い。
みなみに、こいつは色々ぶっ飛んでる。
ある意味幸福なんだろうな。