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昨日モデル地区トレセンに行ったら、
熱心な若者が勉強したいって練習を見学しに来てた。
B級トライアルを受講するらしく、インストラクターの川部の指導を見たいという事だったんだが。
彼は、中学校の先生。
指導の現場は、部活になるんだが、その学校にサッカー部はなく、今見てる部活は野球部らしい。
部活動の社会体育移行はどんどん進んでいる。
4種の大会でも、数年前によく見た、小学校の名前での参加は激減してるし、
サッカーしかり、色んな競技でスポーツするなら習い事でという流れになっている。
体育学部出身の俺は、周りに教員を志す者も多く、
サッカーの指導がしたい
がそのほとんどだった。
俺も、卒業して、教員を志し(正確に言うと、目一杯サッカーやって就職活動ができなかったからなんだが)、
その理由は、サッカーに携われるだった。
曖昧な気持ちで教員をしてたのが正直な気持ちだが、
サッカーを教える事ができる
だけで何とか3年間は教員をやれたような気がする。
だけど、その3年間は思い描いてたものとは違い、部活を無断欠席するのは当たり前。
部員も3年生まで揃えば公式戦に出れるが、総体終わって辞める子がほとんどだったんで、
一年のほとんどは、11人揃わない中での練習だけの日々。
曖昧な気持ちと、現実に打ちひしがれ、
何がやりたい?と問いただした時に、
別の選択肢を探す事になったんだが、もっと学生の時に色んな事を知っておく必要があったと反省している。
昨日は、私立高校の受験だったようだ。
とりあえずは、高校に合格する
が受験生の目標なんだろうが、先を見据えて、もしくは、自分を知って、
色んな選択肢の中から、
ここに行きたい+ここに行けばこうなるって少し先の未来を描いている子は何人いるだろう??
とりあえずの選択は、自分もそうだったように、
いつかは壁にぶつかったり、自分を問い正す場面に遭遇すると思う。
親や周りの力によって、何とかすり抜ける事ができる事があっても、
それが本人の力でなかったら、気持ちのどこかにモヤモヤがつきまとうと思う。
人は周りに活かされながら生きている。
今ソレッソで指導できてるのも、思い悩んでる時に手を差し伸べてくれた人がいたからなんだが、
自分の気持ちの中で、
自分の中で積み上げてきたものがあるという自負がある中での
活かしてもらえたと、
何とかなるから大丈夫だろという曖昧な気持ちの中での
活かしてもらえたは、
全く別物で、後者の場合は、それに気づかない事も多いだろうが、
個人の振る舞いとして正しいのは、
前者の感覚を持ち、自分自身で力を蓄えておく事なんだろう。
うまく生きながら、活かされながらやれる事もある。それでその人が満足できてればそれでいい。
だけど、、、
その鈍感力を大人である俺らが、まかり通るものとして捉えてしまったら、
大半はそうはいかないがほとんどなんで、
結局それぞれのツケになって返ってくる。
進路(未来)は頼るものじゃなくて、切り拓くもの。
可能性に満ち溢れてるからこそ、そんな気持ちを持って、自分の将来に向き合って欲しい。
そんな自立心高い子が多ければ多いほど、個もチームももっと成長できると思う。
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