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昨日は、少し時間の余白ができたんで、ひたすら数字と睨めっこした。
4月から8月までの財務データを洗い出し、昨年度との比較。
果てしない作業なんで、
こうやって時間がある時にちょこちょこ進めてるんだが、まだまだ終わりは見えず。
今日も、ひたすら睨めっこしようと思ってるが、
それを楽しみと思うのは、変わり者なんだと思う。
それは置いといて。。。
さて、、、
数字にまつわる話をすると、人は測る事を好む生き物なんじゃないかなと思う。
現在、世界基準で使われているメートル法というのは、フランス革命の時と言われてるらしく、(ちなみに、フランス革命が起きた年は、1789年。火縄くすぶるフランス革命って覚える。)
それ以前は、
各地域で基準が違ったり、または状況によって違ったらしい。
例えば牛10頭が食べられる広さという定義だったり。
そうなると、牧草地と荒地で同じ1という基準は変わってしまうが、
そのようにして、測っていたと。
このような歴史の流れを見てみると、測るという行為は、
人がそれを好きというより、そうせざるを得ない大切な事になるんだろうが、
測る事で得られる効果は、
集中と集約に落ち着くような気がする。
測る対象を明確にしたいなら、そこには基準が必要で、
その基準を揃えてしまえば、集中が起こる。
集中が起これば、対象になるものが集まり出し、集約が起こる。
サッカーにおいても、データの活用が進んでいて、色んな数値が測られる。
走行距離、スプリント回数、シュート数、パス成功率etc...
目で見た感覚と、さほど差はないかと思うが、
それらは、きちんと測られる事によって、より正確な情報に変わっていく。
何かを進める場合は、
根拠というものが少なからず大切になってくる。
感覚の中でそれは大事だと思ってても、根拠がなければ人は不安になるし、
根拠がなければ、無謀な事になりかねない。
全てを測る事によって、データ化した話にしてしまうと、
事は進まなくなってしまうが、
集中・集約する事で、リスクの排除と、効率化、確率論、
その辺りは、確実に整理されるだろう。
何が言いたいか分からなくなってしまったが、、、
測る行為は、全て数値で片付けられるものではなく、
例えば、昨日のメンバー発表だって、
ある基準を元に、数値化してないが、それに沿って線引きが行われた。
線引きというとドライすぎるが、
この基準ならこのメンバー構成。この基準ならこのメンバー構成というように。
何に集中し、何を集約させていくか?
その舵を握るのは結局は、人。
昨日からやってる睨めっこが無駄な時間にならない事を願う。
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