昨日、あるチームのトレーニングにお邪魔した。
他のチームのトレーニングを見るのは、なかなかないが、
昨日お邪魔したチームは、とても素晴らしいチームだった。
指導者はそれぞれが熱を持ち合わせ、事細かいところまで丁寧に指導。
子ども達全体の雰囲気も、真面目さ、謙虚さ、向上心で包まれたポジティブな活気があって、
伸びる環境がそこにあった。
基礎練習からのリフティング、パスコン。
単純なトレーニングは、真面目さ、謙虚さ、向上心を、単純だからこそ映し出すものだと思ってるが、
大袈裟ではなく、誰一人適当にやる子はいない。
キッズの子達に目を向けると、真剣にコーチの話を聞き、メリハリ持って、プレーする時は全力で楽しげにプレーしている。
当たり前の事を当たり前にやる事は、
大人になっても難しく、
それは人間性と、それを形作ってきた生育環境によるものだと思うが、
こういった環境でプレーする事は、
サッカーの成長はもちろん。子ども達の心の成長にとっても、とても大切な学びになっていると思う。
たまたま居合わせた知り合いの学校の先生と話してたが、
学校だけで色んな事を学ぶのは不十分
と言ってた。
教育課程の中には、授業の他、詳しくは知らないが、
運動会や文化祭?発表会?クラブ活動に、集団宿泊、修学旅行、環境学習みたいな課外学習があり、
それは、色んなものを学ぶの場としてカリキュラム化されている。
今の学校現場を知らない俺が言っても正しいか正しくないか分からないが、
そんな場も、
学校教育という場の中にあれば、
保護者との関係性の中で、ある意味規制のようなものが生じるだろうし、
枠に収まった中で、正確に言うと、収まざるを得ない枠の中で、
最低限の事は身につけておきましょうというイメージ。
どういった意味での不十分かは、
俺と現場にいる彼とで見解は違うだろうが、
黙々と、自分の好きな事を目一杯、楽しく一生懸命できる環境があり、
その中にある色んな軋轢や、悔しさ、楽しさ、喜び。
そんな感情を動かしてくれる場が、
不十分な学びを補ってくれているに違いない。
また、
それを成立させるには大人の存在というのがとても大切で、
預けた以上、任せるという保護者のスタンスがなければ、学校教育同様、学びの場としての機能は縮小していくだろうし、
預かった以上、責任を持って育てるというスタンスが指導者になければ、
学びであるはずの色んなあれこれは、子ども達にとって不利益なものになってしまうだろう。
空気感というのは、見てれば自然に伝わり、
その空気を澄んだものと感じれたら、
そこはきっと子ども達にとって学び、そして成長の場になってると思う。
昨日お邪魔したチームには、
その空気感があり、
ここで育つ選手は間違いない。そう確信した。
俺らは俺らでソレッソという空気感を、俺らのスタンスで作っていかなければ。
こうやって、違うチームを見ていくってのも必要なのかもな。
今日は、キッズ大会。
聖地レタスタ。

うちの3年生。
練習しか見てないから試合になってどんな感じになるのかめっちゃ楽しみ(笑)